先日、ある人とスマホの使い方について話題になりました。時間が空いた時にどの程度スマホを使っているか?という内容だったのですが、私が「最近、やっとスマホを使う必要がない時に使わないようにコントロールすることができるようになった。」と話したところ、その人は「私は、コントロールはできるんだけど、空いた時間にはつい使っちゃう。」と話していました。この時、私は心の中で『つい使っちゃうということはコントロールできていないということじゃないのか?』と引っかかってしまいました。
これは、面接のような会話ではなく、普通の会話でしたから、その時は特に何もせず会話は進んでいきましたが、私の中では、ずっと引っかかっていたので、機会を見つけて、この時の会話での「コントロールできているというのはどんな状態?」と聞いてみました。すると、その人は「スマホ以外にすることがあれば、そっちを優先できるけれど、他にすることがない時には、ついスマホを使っちゃう。」という回答でした。つまり、スマホ以外にすることがあれば、スマホの使用を止めることができるということが、その人にとっての「コントロールできている」という意味でした。
私にとっての「コントロールできる」は、暇だろうがなんだろうが、「スマホの使用を選択できる(使うことも使わないこともできる)」ということだと思っているので、「他にすることがない時に、ついスマホを使う」のは、私にとっては「コントロールできていない」に入ってしまいます。
些細な違いですが、自分と異なる価値観に出会った時というのは、ちょっとした違和感があるものです。 日常生活の中では、それほど気にする程のことではないと思いますし、別にどちらが正しいとか間違っているかということではなく、人はその人の意味合いで言葉を使っているので、必要な場合には、言葉の意味合いを明確にすることも必要なことがあるなあと思います、特に、その人が感じている世界を理解しようとする必要があるような場面では、その人が使っている言葉の意味を大切にする必要があるんだよなあ、と感じた一時でした。
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