私が児童相談所職員で現役だった頃、生活保護を担当する部署から異動してきた職員がいて、その人から生活保護の仕事の中に、生活保護世帯にいる子どもに対する「健全育成プログラム」という支援があるということを聞いたことがあります。その話を聞いた時、「健全育成」という言葉に強い違和感を感じたことを覚えています。
その違和感は、大人が考える「健全性」という価値観を子どもに押しつけているというイメージを持ったからです。ちょうど自分が児童相談所の仕事に慣れてきて、多くの様々な子どもと接触して、大人からの期待に沿うというよりは、その子どもなりの姿になっていくことのお手伝いができるといいなあと感じていた頃と重なっていたので、より大人の期待に押し込めようとするような意図を感じてしまったからなのかも知れません。
実際の「健全育成プログラム」の主な内容は学習支援で自立することを目指すことが目的のようですし、別に教えてくれた職員が反発を感じるような人ではなかったので、私の勝手なイメージだとは思います。
「健全育成」という言葉は、「健全」と「育成」に分かれ、「健全」の辞書的意味は、
①心身が正常に働き、健康であること
②考え方や行動が偏らず調和がとれていること
③物事が正常に機能して、しっかりした状態にあること
という3つの意味があるようです。このうち、②の考え方や行動が偏らず調和がとれていること、という部分に大人の価値観が紛れ込んでいく可能性があるのだろうなあとは思います。
「健全」という言葉には、肯定的イメージを感じやすい気がしますが、「不健全」という言葉には、否定的な意味合いを感じる印象を受けます。辞書的な言葉の意味からすると、「不健全」には心身が正常に働いていなくて不健康であったり、考え方や行動のどこかが偏っているというイメージがあるからでしょうか。
でも、人は誰でもどこか不健全な部分を持っているような気がするし、完全に「健全」な人間がいたとしたら(そんな人いないでしょうけど)、面白くない人のような気もします。
誰もが「不健全さ」をどこかに持っていて、その「不健全さ」を含めてお互いが認め合えることが、多様性を認めることにつながるような気もしますが・・・
「不健全さ」がある自分を、自分で許してあげることで気持ち的に楽になりたいと願う今日なのでした。
コメント