#29 こころのアンテナ

日常のエピソード

随分前に飲み会のなかで、ある人から「自分は、自分がした言動が周りの人にどんな風に受け止められているか心配で、ああすればよかった、こうすればよかったと考えすぎることがある。」と言われたことがあります。その時、私が最初に言ったことは。「周りの人がどんな風に感じているかを感じられるし、そのことで自分がどんな風になっているのかも感じることができるんだ。」と伝え、さらに「ということは。相手のことを感じることができるし、自分のことも感じるアンテナを持っているのね。」と伝えました。すると、その人は「そうだけど、色んな事を感じてしまうことが大変だから、あまり感じなくてもいいのに。」と話してくれました。

この人のように、誰でもが周囲のことや自分のことを感じる「こころのアンテナ」と呼べるようなものを持っていると思います。この「こころのアンテナ」は「感受性」とも言い換えられるかも知れません。

このアンテナには、感じる方向と敏感さという側面があって、自分の方向に向きやすくて周囲への敏感さが足りないと、「空気が読めない」とか「自己中」と言われてしまうかも知れませんし、自分のことに敏感すぎると色んな事に思い悩む自分が嫌になってしまうこともあるかも知れません。また、周囲に敏感すぎると、周りの人の反応を気にし過ぎてがんじがらめになり、「自分」というものがなくなってしまうような感覚になるかも知れません。自分と周囲の双方を、いつでもバランスよく感じればよいのでしょうが、なかなかそううまくいくものではないでしょう。

また、話してくれた人のように、感じすぎるアンテナだと扱いに困ってしまって、そんなアンテナならいらないのに、と感じてしまうかも知れません。

でも、敏感なアンテナを持っていること自体は悪いことではないと思います。なぜなら、感度が悪いアンテナでは感じることができない色々なことを感じることができるからです。感じすぎることで自分に起こってしまうことは仕方ありません。そういう自分なのですから。

ただ、アンテナは練習すると感度を少しコントロールすることができると思います。「感受性」という言葉になってしまうと、コントロールすることは難しいですが、「アンテナ」という具体的な物の名前をつけることで、広げているアンテナをすぼめたり大きなアンテナを小さなアンテナに代えるとか、アンテナの方向を変えるとか、その人なりのイメージで、感度のコントロールが少しはできるようになると思います。

具体的にいうと、私がよくやっていたのは、仕事中、自分の周囲で何か起こっていることを感じていても、自分に関係があるのかどうかをまずは感じるようにして、自分に関係ないと感じれば、起こっている事のほうに向けていたアンテナを自分の仕事に向けるイメージで、それ以上は感じないようにして自分の仕事に集中していました。 いずれにしても、敏感なアンテナを持っていることで、気持ちを動かされることはあるけれども、感じたことを取捨選択しアンテナをコントロールしながら自分を守るほうが現実的だよなあと思うのでした、

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