#30 子どもと対峙するということ

日常のエピソード

再三の朝ドラからの話題で申し訳ないのですが、今回は主人公の寅子(ともこ)が離婚調停で親権を決めなければならない状態の中で、調停員と同席して子どもの話を聴く場面です。

少し背景を説明すると、日本人の夫(父)とフランス人の妻(母)が、父の不倫により離婚しようとしていているのですが、夫には新たなパートナーとの間に子どもができており、そのために妻(母)との間の子どもの親権はいらないと主張。妻(母)は、フランスに帰って一から出直したいので、やはり子どもの親権はいらないと。子どもの年齢は定かではないのですが、おそらく中学か高校年齢で、複数回の窃盗をしているという設定です。

寅子は家庭裁判所の裁判官の立場なので、調停(子どもの意見聴取)に立ち会う必要はないのかと思いますが、調停がうまくいかなかった場合は、親権をどちらにするか決めなければいけない立場であることと、家庭裁判所で子どもを担当する少年部では、その子がまったく話さないことで、当事者の一人である子どもの意向が確認できていないこともあって、寅子は調停員と共に子どもの話を聴くという場面がありました。

この場面を見ていた時、私の中では、父が母とは別の女性と子どもを作っていること、母もフランスに一人で帰りたいと訴えていることから、かなり以前から夫婦の関係は冷えていただろうし、子どもはどちらからも必要とされていないことは感じていただろうなと思い、窃盗も複数回行っているということから、本人にとっては、両親との間がどうなろうとどうでもいいやと思っているだろうなと感じていました。もちろん、両親から愛されたい思いもあっただろうけれど、そんなむなしい期待は、表だってはもう持っていないだろうなとも感じていました。

そんなことを感じながら、もし、これが児童相談所で児童心理司として子どもと面接する場面だったら(もちろん、児相で離婚調整やそれに関する子どもの面接はしませんが)、どんな言葉かけをするだろうか?とも思っていました。

最初に思ったのは、子どもが感じているであろう「もう、どうでもいい」とか「どうなっても構わない」という感じを伝えるかなあと思っていたら、寅子が最初に「もう、どうでもいい?」と話したことにびっくりしました。そして、寅子は、正直言うと、子どもがこれから落ち着いて生活するために、両親どちらかを選ぶ必要はないと感じていること、もっと言うと、両親にそれを任せたくないと、という自己開示まで行います。その上で、でもどちらかの親と一緒に居たいなら、それも言ってもいいこと、子どもが、寅子の話を聴いていることを感じたからだと思いますが、寅子は「両親以外に、これまで優しくしてくれた人はいないか?」と聞くのです、

ドラマ的には、その後、子どもが父の姉(伯母)のことを話し、連絡を取った結果、伯母が面倒を見ることを条件に父が親権を取ることになります。

現実に、こんなに簡単に事が進めば苦労はないのですが、それでも、寅子が子どもと面接する場面は示唆に富んでいたと思います。

まず、子どもの気持ちを推し量り言葉にして伝えること、自分の思いを自己開示すること、しかし、それでも本人(子ども)の気持ちを尊重すること、これらの要素は、「面接」と呼ばれることに共通するものなのだろうと思います。いつでも3要素が必要とは思いませんが・・・ もちろん、これらの前に子どもとの関係を作っていくことを考えなければいけないとは思いますが、しかし、先程挙げた3要素は、子どもとの関係を作っていく時のことも含まれているなあとも思い、緊張して子どもと面接していた頃のことを思い出した日でした。

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