数ヶ月前、大切な約束を全く忘れていました。約束していた人からの連絡で分かったのですが、自分でも愕然としてしまいました。
同じことが起こってはいけないので、原因と対策を考えました。原因に関して、これまで、予定は手帳で管理していたのですが、退職してから予定そのものが少なくなり、退職後1年目はそれでも体調管理のための病院通いだったり、失業手当を貰うための予定だったりと、ある程度は予定があったために、手帳での管理で何か忘れるということはありませんでした。
ところが、退職2年目となり、予定そのものが本当に少なくなり、毎日手帳を確認するという習慣がなくなったことが、大切な約束を忘れてしまうという事態につながったのだろうと考えました。
手帳を毎日見る習慣がなくなったことは仕方ないとして、では、何が代わりになるのか?と考えてみると、退職後、1年目から始めたメルカリはスマホで完結していますし、毎日手にしているのは結局スマホなのです。そこで、対策として考えたのは、スマホにスケジュール管理のアプリをインストールするということでした。退職前、スマホやPCでスケジュール管理している人を見かけていましたが、その頃の自分は、スマホを毎日見るという習慣がなく、入力の手間や内容を確認する作業のことを考えると、直接書き込む手帳の方がずっと実用的でした。ところが、スマホのスケジュール管理アプリを使ってみると、事前の通知機能というのもあり、その設定も細かくできることが分かり、これは便利だ!ということに気がつきました(既にご存じの方にとっては、今更何?っていう感じでしょうが・・・)。
この経験を通して「老い」ということについて考えさせられました。約束を忘れてしまったことの他に、日常の何気ない動作で、以前にはなかったような結果(物を移動させようとして落としたり、その際に何かにひっかかったり)が出てくるようになっていて、これは、視覚的な認知機能とか目と手の協応動作や筋力などの衰えがきているなあと感じるようなことがあり、以前にも増して丁寧な動作が必要になってきているんだなあと感じてはいました。これまでは、身体自体のことや動作のことが主なものでしたが、今回の約束を忘れてしまったことは、記憶とか認知的なものなので、これまでとは質が違うなあと。ただまあ、足りない面や正常に働いていない面を補うという意味では、便利なアプリを使うのは、薬を飲んだり眼鏡をかけたりするのとあまり変わらないか、とも思います。 「老い」という言葉には、「衰え」と「病」というイメージが複合されているような気がします。最近言われている「タンパク質を摂り運動しましょう」とか「筋トレのための機械」とかは「老い」と戦いましょう!と言われているような気がするし、「健康寿命を延ばしましょう」というスローガンには、「衰え」には光を当てず「病」にならないことだけに光を当てているような気がします。年齢を重ねれば必ず「衰え」はあるので、「衰え」との上手な付き合い方のような情報がもっとあるといいなあと感じた今日でした。
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