今回の題名は、(以前も1回ありましたが)Little Glee Monsterの「ちょ待って!」という歌のワンフレーズです。作詞・作曲がmeiyoというシンガーソングライターです。最初に歌を聴いた時には、別に何も思わなかったのですが(と言うより、うまく聞き取れなかったのですが)、先日、詳しいことは忘れましたが、若い子にかけてあげると良い言葉〇〇選みたいな中の一つに(全く一緒ではなかったですが)同じような内容の言葉が載っていて、えっー若い子はこんなこと感じてるんだと思ったので心に残ったのです。
「若い子」というのを何才から何才までといったことは横に置いておいて、歌詞をよく見てみると、「息してるだけで」というのは、「生きてるだけで」だろうし、「全肯定されにゃ」ということは、肯定されたい「誰か」がいるということだろうし、「割に合わない」ということは、労力の割には結果が伴わないということだから、歌詞全体からは、「色々やっている(きた)けど、自分という存在を肯定されないとやっていけないよなあ」というような意味なのかなあと感じています。
そんな感じの意味なのかなあと感じてから、これが「若い子」にある程度共感されていると仮定すると、(ここから私の妄想で飛躍しすぎだなあとも思うけれど)1959年に東大の安田講堂事件があり、大学生が社会的な問題に対する不満を社会(大人)に対してぶつけた(表現した)事件があり、こうした若者のエネルギーに恐れおののいた「社会(大人)」は、若者のエネルギーを抑圧(そうしないと「これまでの社会」が壊されてしまうと感じたのだろうけれど)する方向で動いたのだと思います。1970年代後半から1980年代前半には暴走族の全盛期で、20代から10代後半の若者が参加していました。少し前の1970年代には高校生のつっぱりとかスケバンとか学校間抗争とかが社会的に話題となり、社会的課題(自分より上の世代に向けて)というより、同年代に向けての表現になると同時に話題となる世代が大学生から高校生に移っている印象があります。1987年には尾崎豊の「15の夜」、その後「卒業」がリリースされ、中学生のエネルギーの表現について歌っています。1980年代半ばから、「いじめ」が社会問題化していき、当初は中学が中心でしたが2009年には中学1年生で最も多くなり、2019年で最も多いのは小学2年生で、しかも3位までが小学1~3年となっています。「いじめ」と並行して「不登校」は、1990年代から増加し始め。その後、ずっと増加傾向を示しています。
何を言いたいかというと、若いエネルギーの表現に対して社会(大人)の抑圧は、どんどん低年齢化し、また、社会の抑圧が家庭の中に反映されるようになり、抑圧が期待に重なることによって子どもの閉塞感はより大きなものになってきているのではないかと思います。
こうした社会の流れがある中で、子どもは親世代からの期待という抑圧に応えるべく一生懸命もがいてきていて、期待に応えることができればまだよいけれど、なかなか応えることができない自分も分かってくると、最初の「息してるだけで全肯定されにゃ割に合わない」という感覚があっても不思議はないなあと思います。 ただ、この歌全体から受ける印象は、閉塞感を感じている自分は大変だけれど、一方でそれを客観的に見ている自分もいて、自分自身のことを茶化してというか、少し突き放して道化のようにみている視点も感じます。それは、そうでもしないと、自分を保つことができないという風にも見えて、今の子ども達は生きているだけで大変なんだなあと感じるこの頃なのでした。
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