#55 伊能忠敬に感動したことについて

日常のエピソード

 平日の朝、NHKの朝ドラを見た後はテレビ朝日のグッドモーニングを見て、林修さんの「ことば検定スマート」というコーナーを見るのが習慣になっています。先日のことば検定スマートで、伊能忠敬が歩いて測量して地図を作製した目的についての問題が出たのですが、問題はともかく伊能忠敬については、昔、感動したことがあってそれを思い出しました。

 千葉県香取市佐原という所に伊能忠敬記念館があります。ずいぶん昔に行ったのですが、別に記念館を目指して行った訳ではなく、佐原の街並み(江戸時代の風情が残っている)と香取神社を目指して行った旅でした。

 佐原の街並みを歩いていると記念館があったので入ってみたという感じです。伊能忠敬という名前と日本地図を作った人くらいの知識はありましたが、それ以上の関心があった訳ではありません。入ってみて、伊能忠敬という人の資料を見ていると、婿養子に入った伊能家の家業を50才で隠居し、その後、自分が好きな道を進み、何才も下の人に弟子入りして勉強した後、日本地図の作製を依頼されて日本全国を歩いて測量することになります。伊能が作成した地図は、現在の地図と比較しても大きな誤差はなく、精密なものであったことが展示されています。

 私が感動したのは地図のことではなく、家業(佐原では裕福な家だったようですが)を守り、50才で隠居した後に自分の好きな道に入って勉強し、日本地図を作製するまでになったということです。これはすごいと思いました。この頃の地図の作製には自分の足で歩いて測量していくことが必要だったようなので、知識だけでなく、健康や体力と強い意志がないとできないことだっただろうと推測しました。現在の地図と誤差が少ないということは、隅々まで歩いて測量したということでしょうし、いい加減なものではなく、妥協せず測量したということでもあるのでしょう。この頃の平均寿命は30才台だということです。まあ、ある程度余裕のある生活をしてきているようなので、衛生面や栄養面では恵まれていたのでしょうが、それにしても今で言えば、定年してから自分の道を突き進んだということなので、頑健な身体と強い意志を持ち合わせていたのでしょう。享年73才ということなので、この時代ではとても長生きしたということになるようです。  私が記念館に行ったのは、自分が50才台だったと思いますが、定年してからそれ程打ち込めることが見つかるだろうか?と感じたものです。今、その定年後を過ごしている訳ですが、目指していることはあるものの、それが今後、どのようになっていくのかは全く分からない状態です。それでも、自分なりの意思を持って進んでいることは間違いないので、伊能忠敬と同等とはいかないものの、自分なりの志を持って進んでいることは同じと言ってもいいかなあと、勝手に思った時間でした。

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