#69 ドラマ「明日は、もっといい日になる」評

日常のエピソード

これまで、児相について漫画や映画の題材になったことは知っていますが、なかなか地上波のドラマにはならなかったのではないかと思います。

フジテレビ水曜9時放映の「明日は、もっといい日になる」は、福原遥さんを主役として市立の児童相談所について描いています。舞台が神奈川県で、児相の外観は横須賀市にある自然博物館だそうで、そうなると、児相出身者としては見ないといけないかという気持ちになり、夜9時という時間は退職後の私にとってはおやすみの時間なのでTVerで見ています。

簡単に内容を紹介すると、神奈川県警の福原遥さんが、市立の児相に出向することになって物語は始まります。

突っ込みどころは色々あり、例えば出向の初日、児相にはたどり着き建物の中に入るものの、そこで最初に出会うのが一時保護されている子どもたちで、子どもの安全性の確保や外部の人間との接触の可能性を考えると、そんなことはありえないだろ!という始まりだったり(一時保護所の課長が一緒にいたという設定でしたが)、県警から出向してきているのに、着任の日に先輩福祉司と一緒に福祉司として動くように要請され、その状況に周りは(仕事を)辞めないかと心配する声があるのですが、県警から出向してきている人に対して、着任早々福祉司として動くように要請することはないだろうとか、それに出向してきているということは県警を背負ってきているので、そんな簡単に辞める訳にはいかないだろうとか(おそらく番組スタッフが福祉司が辞めることが多いという取材をしたのでしょうが)、3話目だったかな?児童心理司(生田絵梨花さん)が、児相としてはかかわりが終了した中学生と仕事以外の時間に毎週会っていたりして、それは公平性を求められる公務員としてどうなんだとか、(かかわりを終えているので仕事ではなく友人として会うということはあり得ない話ではないかもしれませんが)ドラマの中で心理司は明確に「(相手の中学生に)ケアしたい」と言っているので、それは完全に仕事モードということなので、もし仕事として会おうとするなら、会っている時間を仕事として組織に認めて貰う動きをするべきでしょうし、プロの心理職としては、仕事時間外にクライエントと会うことはありえないなあとも思うのですが、番組全体としては、子ども側からの視点で描いており、虐待行為や育児不安を、単に保護者個人の責任にするのではなく社会的な影響もあり、児相は保護者に寄り添いながらも子どもの意向を尊重する方向で描こうとしている姿勢は、まあ、よく取材しているなあという感想を持ちました。

ただ、一番の違和感は、一時保護された子どもが、小学3~4年生くらいで、自分の気持ちや意向を(泣きながらであったりするけれど)整理して話すような場面があって、子どもを、自分の気持ちや状況を整理して話すことができる「プチ大人」として描いていることでいた。ドラマにあるかかわりくらいで、子どもがこれほど話してくれるなら苦労はないなあという感想です。ドラマとしては1時間で結論を出さなきゃいけないので当事者の子どもにしゃべらせないと終わらないのだろうなとは思いますが、子どもがちょっと安心したら、大人と同じように話すことができるだろうという「子ども像」が前提になっているようで、まさに、自分の気持ちとかそうなった理由とかを表現することがまだ不十分なのが「子ども」で、それを育てていくのが大人の役割だと思うのですが。 一方で、もしかしたら一般的な社会では「子ども」というものを、「プチ大人」のようなイメージでとらえているのかも知れないなあとも思いました。実際はどうなんだろうと疑問を持ちました。

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