普段から私は「からだ」と書く時には「身体」と書くことが多かったように思いますが、「体」との違いを明確には意識していませんでした。今回、このブログを書くにあたって、改めて「体」と「身体」の違いについて調べてみました。すると、以下のような説明が出てきました。
「体」が肉体そのものを指すのに対し。「身体」は肉体と精神・心・立場などを包括する概念を指します。「身体」はよりフォーマルで、人間の全体性を表す場合に用いられ、ビジネスや医学の文脈に適しています。一方、「体」は日常的でカジュアルな表現に適しており、肉体的な側面や健康、体力を指す場合に使われます。
とありました。フォーマルかカジュアルかは別にして、肉体そのものを指すということと人間の全体性を表すという説明に納得しました。そう説明されると、これまで「身体」を使用してきた機会を思い出しても、そうは間違っていなかったかなあと思います。
今回のテーマを書いてみようと思ったのは、このブログの「#52私の灯台巡り」に体験談として書きましたが、「仕事を休みたくなる」という状態というのは、何らかの「疲れ」があると仮定されると思います。この「疲れ」は、まさに肉体的な「体」の疲れだけでなく、精神・心理的な、あるいは立場的な疲れが総合的に影響していると考えるのが自然だろうと思います。私の場合は、初めてのSV(係長クラス)になってSVとして働くのに、(自分にとって)どういう働き方が無理のない範囲なのか判断できず、SVとしての仕事は時間外に行うような無理を重ねたから、体力的な面もあるけれども、気持ち的な面でも、「もう、持たない」という気持ちになったのだと思います。こうした自分の「身体」からの訴えに、運よく耳を傾けて仕事を休むという決断ができたことは、振り返ると良かったなあと感じます。この経験の後、私は計画的な休暇を取るようになるのですが、#52で書いているように、当日、通勤時に高速を降りるかどうか最後まで悩む自分もいたのです。その頃年齢は、まだ40才台前半でしたから、体力的には無理しようと思えばできる頃でした。もし、あの日無理をして仕事に行ったとしても(行ってしまえば、それなりに仕事はしたと思うけれど)いずれ、どこかのタイミングで仕事を休むような事態(それが病気のように体に出たのか、精神的に落ち込んでしまうのかは分からないけれど)になっていたと思います。その意味では、身体からの訴えを早めに聞いて休む決断ができたことが、より大事にならなくてすんだのではないかと思います。
仕事継続に対する考え方は、人によって様々でしょうが、私は健康な時間がより長い方が(いわゆる健康寿命ですね)、好きなことができる時間も長くなると考えているので、可能であるならば、時期によって無理せざるを得ないことがあることは承知しながらも、仕事についてはあまり無理をしない方がよいと思っています。 いずれにしても、その時点の自分がどんなことを感じ、どういう状態なのかを教えてくれるのは、自分の「身体」だと思うので、「身体」からの訴えをよく聞いて、適切な対応を心掛けることが大切なことだろうと思います。
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