#79 「身の丈に合うこと」

日常のエピソード

このセリフは、NHKの「宙わたる教室」というドラマの第8回で言われたセリフです。ドラマのあらすじを全部紹介しようとすると、それだけでかなりの字数を使ってしまいそうなので、このセリフが言われた場面だけを紹介します。

主人公は、元惑星関係の研究者でドラマの中では、定時制の高校教師です。セリフを言ったのは、定時制高校に通う町工場の社長(年齢は定かではありませんが、概ね50~60才位)です。言われたのは主人公である先生なのですが、「身の丈に合うこと」の対象は、ディスレクシア(読字障害)の20才台(だと思う)の男性(Aとします)です。主人公の先生は定時制高校に科学部を作るのですが、その部活の最初のメンバーです。Aは、主人公からディスレクシアだろうと指摘されるのですが、小さい頃から失敗体験ばかりしていて、定時制高校に入学する前には、法に触れるようなこともしていたようで、その時の仲間が前と同じように付き合おうと迫ってきたりもします。しかし、Aは科学部の実験が面白くなり、ディスクレシアの助けになるタブレットや教育を別に受けていたりして、Aなりに勉強もし、自分も主人公の先生(研究者)のようになれないかと夢みるようになります。ところが、Aの昔の仲間が実験道具を壊してしまうという事態が起こり、科学部(4人いて2人は女性です)が崩壊しそうになり、Aは迷いの中に入り込みます。

この様子を見て、町工場の社長が「身の丈に合う」ということと「このまま期待させていいのかね?」と主人公に伝えます。

このセリフを聞いて、もし私が主人公と同じ立場ならどうするだろうと考え込みました。町工場の社長が話すのは、ディスレクシアを持つAが研究者を目指すとなると、失ってきた時間の長さ(積み重ねの少なさ)や、過去の経歴、これから待っているであろう困難を考えると、あまり期待を持たせない方がAを傷つけないのではないかという親心というか現実的な考え方です。実現可能性があまりに低いことに期待を持たせるのはいかがなものか?ということです。もし、私が児相の心理司で担当するディスレクシアの子どもが同じことを言ったら何というだろうかと考えました。学校の先生と児相の職員に共通するのは、ずっとその子のそばにいることはできないということです。「やりたいならやれば良い」と言うことは簡単ですが、実現するまで支えることができないことが分かっているのに、安易に答えて良いものかどうか。

考え込んでいた時、思い出したことがありました。私は高校時代ボランティア活動をしていました。それは、今考えると、社会活動のお手伝いのようなもので、活動をメインで行っていた大人は、自治体の社会教育を推進するような部署の人や民間会社の偉い人(篤志家というのでしょうか?)が中心で、お手伝いといっても、自治体が実施する社会教育に関する行事の運営の一部をある程度任されていました。それが面白かったのでしょう、結局、高校1年から3年の夏前まで活動を続けました。大変なこともあったけれど、その活動が今の自分につながっているなあと感じます。面白い、と感じるものを止めるのは難しいなあと思います。

ドラマ的には、町工場の社長は妻に話すと、妻から「そんなつまらない人だとは思わなかった」と伝えられることで、社長は科学部に戻ります。Aは迷った挙句にそれでも自分がやりたいからと科学部に復帰、女性2人も復帰し、研究発表で認められるという結末でした。

きっと、私だったら、これから大変なことはあるだろうことを伝えながらも、それでもやりたかったらやってみたら良いと思う、と伝えるだろうなあと思いながら、でもドラマのようにはいかないよなあとも感じた日でした。

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