#81 座右の銘:「いい加減」

日常のエピソード

私が座右の銘は何ですか?と聞かれたら「いい加減です」と答えます。実際にそういった機会はこれまでほとんどありませんでしたが。

「いい加減にする」という言葉をネットで検索すると、『文脈によって「程ほどに済ませる」という良い意味と、「無責任・不注意・いい加減に扱う」といった否定的な意味の2つに分けられます。』とありました。

私が座右の銘にしているのは、前者の「程ほどに済ませる」に近いですが、もう少し解説するなら、「いい〇〇加減にする」のように、「〇〇」に「しお」とか「おゆ」とか入れて、「いい塩加減にする」とか「いいお湯加減にする」とかいうような、「ちょうどよいバランスにする」という意味での「いい加減です」という風に答えると思います。

同じような言葉に「按配(あんばい)」という言葉があります。この言葉をネットで検索すると、「料理の塩加減(塩梅)。(一般に、物事の)ぐあい、ほどあい」とあり、例として「いい按配に雨があがった」とか「バランスの按配はどうだね」だったり、特に健康状態として「今日は幸いに按配がいい」というような内容があげられ、他にも「程よく並べること、適当なぐあいに処分すること」というような意味があるとしています。

私が、YouTubeで「あいだシリーズ」として動画をアップしているのも、「バランスをとること」を重視しているからのような気がします。「〇〇と△△のあいだ」を考える時、双方には色んな関係性が考えられます。双方が知っている部分と、あまり知らない部分があったりしますが、知らない部分があったとしても日常的には特に困ることなく過ぎていくことも多いのだと思います。

YouTubeでの「あいだシリーズ」は、何となく知っているつもりになっている「〇〇と△△のあいだ」について、改めて話題にすることにより、知らない部分を再確認して、改めてお互いの理解をより深めようとする作業なのかなあとも思います。

日頃の忙しさにかまけて、相手の組織(や個人)のことを、より知ろうとする努力をあまりしないで、何となく周囲からのうわさや他人の個人的な感想からイメージだけで相手の組織(や個人)を判断してしまうということが起こったりします。

特にその組織(や個人)と直接何かすることがなければ、イメージだけで判断していても良いのかも知れません。でも、もし直接やり取りするようなことが起こった場合、イメージが肯定的であれば、まだ良いのでしょうが、否定的なイメージが強いと、最初から構えてのやり取りになってしまうかも知れません。 そういうことがなるべく少なくなるように、双方の視点から「あいだシリーズ」をアップしているつもりですが、これも私の個人的な視点なので、自分とは異なる視点というのは、いつでもあることを認識していることが大切なのかなあと思うのです。

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