今回は、児相職員の心と身体のあいだというテーマで書いてみたいと思います。
今回の話は、私のブログに日常のエピソードという投稿シリーズがあるのですが、その中の第25回「私の灯台めぐり」、第43回「からだが訴えること」、第45回「小さな達成感をさがすこと」の3つを合わせたような内容となります。また、同じようなことを書いてるなあと思っていただいて構いません。
児相の仕事と言っても、対人援助の仕事は同じようなところがあると思いますが、うまくいったなと感じられることは、本当に少ないと思います。しかも、最近は虐待ケースが中心となり、組織的な判断を優先させる必要があるので、担当者の裁量の範囲が狭くなり、より達成感を感じにくくなってきていると思います。私が現役時代は、子どもや家族の小さな変化を見つけて、小さな達成感を感じていて、それが仕事継続の原動力になっていたと思います。ただ、子どもや家族の小さな変化というのは、見つける努力が必要です、というか、これは変化と言えるのかどうかを自分で判断して、変化だなあと判断できるのであれば、小さな達成感も感じられるといような性質のものなので、まず、変化しているような部分を見つけること、そしてそれが変化しているなあと判断できるかどうか、というように、見つけて判断する練習が必要だと思います。
「変化」ということが、どうして仕事を続けることの原動力になるのか?ということですが、昔は自分が担当するケースは、基本的には自分(心理司)と仕事上のパートナー(主に福祉司、時に相談員)が対応するので、ケースに変化があれば、それは、自分達担当者の影響によって変化が起こっていると考えられるからです。ところが、最近の組織的な判断を優先する必要がある状況は、上司の判断も影響してくるので、担当者だけの影響力とは言い切れず、こうした裁量範囲の縮小は、小さな達成感にも影響してくるなあと感じます。
こうしたケースを通しての小さな達成感の積み重ねだけでは、なかなか仕事上のストレスをすべて解消することにはなりません。それは、仕事というのは、いくら対人援助の仕事とは言っても、ケースとのやり取りだけでなく、事務的な仕事もたくさんあるからです。そして、この事務的な仕事というのも、結構ストレスを感じさせるものだったりします。
私が、心理のSV(係長クラス)になって半年後くらいから灯台巡りをするようになったのも、ケース以外の仕事にもストレスを感じるようになったからだと思います。こうなってくると、小さな達成感探しだけではストレスの解消は難しくなり、仕事とは全く異なる状況に自分を置くというか、仕事以外の何かに意識を集中させることで、仕事のことを一時、忘れるという作業がおそらく必要なのだと思います。それが、私にとっては車による一人旅(灯台めぐり)で、環境そのものを変えていくことと、灯台にたどり着くことが小さな達成感だった訳ですが、これは人によって何でも良く、スポーツだったり音楽だったり、あるいは全く別の趣味だったりと、おそらく、仕事とは別の頭の使い方というか、没頭できるものであれば、その人に合ったものであれば何でもよいのでしょう。
それと、自分の身体の変化に気が付く必要があります。仕事というものは、ポストが変わらなければ、概ね同じような内容が続くので、ある意味ルーティン化していきます。そうなると、その時の生活(これは仕事だけでなくプライベートな面も含めてですが)で、自分がどんなことにストレスを感じているのか分かりにくくなります。ストレスというものは蓄積していくので、ストレスの蓄積が自分の身体(この身体というのは、単なる肉体という意味だけでなく精神や心などを含めた総合的な意味です)にどのような影響を与えているのか、自分をモニターするという作業が大切です。自分自身をモニターするということは、自分に何が起こっているのかを俯瞰的な視点を持つということになります。この視点がないと、自分に何が起こっているのか分かりにくくなるので、自分に無理させてしまうことになりかねません。この視点は、仕事上でも役に立つので、俯瞰的なものの見方をする練習もした方がよいと思います。
ところで、私にとって幸運だったのは、公務員という仕事は、福利厚生的な面でいえば、社会的には早めに色んな制度が導入されて保障されることが多いので、計画的に休暇を取ることができるような環境だったことです。この点は、民間の福祉施設なんかだと、職員の人数的な関係で、なかなか計画的な休暇を取ることが難しいところもあるかなあと思います。
児相職員には仕事を可能ならば長く続けて欲しいと私は考えていますが、それは、長く継続することで、見えてくることがあるからです。一つの児相経験(異動の関係から、おそらくは3年~5年でしょう)だけでは、例えば、施設に措置した子どもが、どのように成長して自立していくのか、その子どもを支援している施設職員との関係はどのようなものだったのかというようなことを感じることができないからです。長く続けていると、一人の子どもではないけれど、異なる年代の複数の子どもの成長する姿と、子どもを取り巻く職員との関係性のようなものが見えてくることがあるのです。
もちろん、子どものことだけでなく、児相という組織が、社会からどのようなことを求められているのか、求められていることに関して、自治体はどのように動くのか、というようなことも感じることができるようになります。こうしたことは、ある程度長く仕事を続けていないと分からない面もあるので、可能なら続けて欲しいと感じています。 とはいえ、今回のテーマである「心と身体のあいだ」ということからすると、自分の身体からのサインに気付くことができる「心」と、その人がもともと持っている「身体」の強さは表裏一体だと感じるので、自分の「心」に正直に、時々自分にご褒美をあげながら、自分の「身体」を大切にして仕事を継続して頂ければと思います。

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