以前も書いたように、平日の朝はNHKの朝ドラを見ています。今は「ばけばけ」ですがNHKのBSでは、過去に放映された朝ドラが再放送されています。今は、「どんど晴れ」という比嘉愛未が主人公の横浜と盛岡が舞台のドラマです。主人公には既に婚約者がいて、その実家が盛岡にある老舗旅館です。婚約者が旅館を継がないと言っていたのに継ぐ意思を見せたために、主人公は旅館の女将修行を始めることになります。その過程で、そばにアレルギーのある子どもを勝手に連れ出して、(主人公も知らなかったのですが)そばが入っているお饅頭を食べたことから、アレルギー発作が起こり、そのことを問題にした母親が旅館を相手に訴訟を起こすことになります。その責任を取って、指導を担っていた中居頭を辞めさせ、大女将が一線を退くことにしたのですが、母親は怒りが収まらず、訴訟を続けるという中、主人公は自分に責任を取ることができない状況に、女将修行を放り出して横浜(主人公の実家がある)に戻るのですが、実家の父親は「修行を中途半端にして放り出すことは許さない。」と実家に主人公を入れようとしません。仕方なく主人公は、婚約者のアパートに転がり込むというのが先週のストーリーでした。結果的には、アレルギーを起こした子どもが、母親に自分の気持ちを伝えることで、訴訟は取り下げられるのですが、この経過の中、主人公は、自分がこの先、何をしようとしているのか自問自答せざるを得なくなりました。
今週、月曜日に新たな展開として、主人公は婚約者に以下のようなことを話します。「これまで、自分は婚約者の嫁として、女将になることを決意して修行してきたけれど、自分が何をしたいのかを考え、嫁としてではなく、自分が女将になりたいのだと。婚約者の嫁としての修行ではなく、自分として(1人の人間として)修行したいから自分は盛岡に行く。」と宣言します。
ドラマですから、でき過ぎの感はありますが、この主人公の決意表明には共感できる部分があると感じました。ドラマのような「女将修行」というような大事ではなくても、仕事上で何らかの事業などを担当した場合、これを『やらなければいけないこと』として捉えるか、自分事として『やりたいこと』として捉えるかによって、その担当する事業などに向かう姿勢が違ってくると思います。別に、担当した事業の全部を「自分事」として捉えなければいけないと言っているのではなく、内容によって、自分が関心を持てるような事業であれば、「自分事」として捉えなおすことで、事業を見直すことにつながるような気がします。そうすると、結果はどうあれ、成果が出れば達成感につながりますし、失敗するような結果になったとしても、その責任は自分で取ろうという気持ちになるのではないかと思います。 いつでも、どんな仕事でも「自分事」として捉える必要があるとは思いませんが、ある時点では、1つくらいは「自分事」として取り組んでいる方が、仕事にも張り合いが出るのではないかなあと思った時間でした。

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