今回は「マニュアルと裁量のあいだ」というテーマで書きたいと思います。
前回の「福祉司と心理司のあいだ、その2」で少し触れましたが、マニュアルというのは、基本的なことや原則的なことが書かれているので、支援をしていくためには大切なものです。ただ、一般的なことが書かれている訳ですから、すべての家族に対してマニュアルに書かれている方法だけで支援できるかと言うと、そうではない場合もあります。
「マニュアル」は、比喩的に言えば、ピアノで言うとバイエルのような、あるいは野球で言うと素振りやキャッチボールなどのような基礎的なことに当たるのだと思います。この基礎的なことを繰り返し行うことで、基本的な動きを特に意識することなく身体が覚えているようになり、基本的な動きを土台にして、その上に、ピアノで言えばその人なりの表現ができるようになったり、野球で言えば、プロ野球のようなプレイができるようになったりするのだと思います。この、自分なりの表現だったり、プロ野球のようなプレーというのが、裁量にあたる部分だと思います。
現在、児相での虐待事例対応は「組織的対応」が必要と言われ、福祉司や心理司などの担当する職員だけで判断して支援してはいけないと言われています。このことは、担当者だけで判断や決定をするのではなく、児相という組織が判断や決定を行うということであり、担当者個人を守るという意味もあります。そして、組織的決定は、それまで児相で蓄積された経験と共に「マニュアル」に照らし合わせて行われることになります。
このことは、経験の蓄積がありながらも、基本的な部分に当たる「マニュアル」に照らし合わせて判断するということですから大切なプロセスです。
一方、「裁量」というのは、辞書的には「その人自身の考えに基づき、物事を判断し決定すること」と定義されています。ですから、「組織的対応」とは反対の意味になります。ここで、難しいのは「裁量」が大きいほど、人材育成に役立つと言われている点です。
考えてみれば、「マニュアル」に照らし合わせて仕事をすると、間違いは少なくなる可能性は高いですが、自分で考える必要がない訳ですから、マニュアルに想定がない場面になると、どうすればよいのか分からなくなってしまいます。
一方、「裁量」を大きく認めれば、その人なりの判断で動く範囲が大きくなるので、色んな場面にも対応できるようになり柔軟性は高まるかも知れませんが、マニュアルに照らし合わせると、その範囲から外れてしまう可能性も高くなります。前回触れた、見立てをするという作業は、どちらかと言えば、裁量を大きくした方が、自由に検討できる範囲が広くなるために作業はやりやすくなります。
虐待防止法制定以前は、児相では担当者の支援方針を尊重する文化があったように思います。この頃は、第1回で書いたように、相談者のニーズを中心に相談活動を行っていたので、相談活動の当事者である担当者が、どのように支援するかが尊重され、会議でも担当者の支援方針を中心に検討がなされていて、そういう意味では担当者の裁量を尊重しようとしていたと思います。
虐待防止法が制定されても、すぐに児相の支援方法が変わった訳ではなく、以前からの支援方法を継続していた児相も多かったと思いますが、各地で死亡事例等が起こったことで、検証が行われ、担当者への裁量を尊重しているだけでは事故につながりかねないという認識が強くなり、「組織的対応」が大切であるとの今の文化につながっていると感じます。
虐待対応については、社会的な期待も高いですから「組織的対応」を優先せざるを得ない状況にあります。とはいえ「マニュアル」だけに頼りすぎると、担当者は自分で考え、判断し決定するということが少なくなるため、人材育成という側面から考えると、遠回りをしているということにもなります。対人援助というのは、同じ人というのが2人はいないように、同じ家族というのもありません。ということは、支援もその家族に応じて柔軟に考えていく必要があり、そのためには、担当者は自分で判断し決めていくというプロセスを通して、様々な家族に対応できるようになっていくという経験が必要です。
例えば、第2回と7回で触れたステップファミリーの場合、子どもの年齢やかかわった時の実母や養父との関係、実母は子どもの気持ちに寄り添うことが得意な人かどうか、あるいは養父が感情的な人かどうかなど、支援方法を考える時、影響する要素はたくさんあります。
児相は、現在、組織的対応を優先させることと、人材育成の観点から、担当者に、どの程度「裁量」を与えるのかという、一方を優先させればもう一方が成り立ちにくくなるという二律背反した状態に直面しています。
この課題はとても難しく、マニュアルと裁量をどのようなバランスで考えていくのかということは、現在も試行錯誤を繰り返している状況であり、現実の業務を実施しながら検討していくしか方法はないのだろうと思います。
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