今回は「虐待対応と見立てのあいだ」というテーマで書いていきます。
前回の「マニュアルと裁量のあいだ」でも触れましたが、現在の児相での虐待対応は組織的対応をすることが求められています。組織的対応をしていくことは大切なことですが、前回指摘した通り、人材育成の観点からすると遠回りしてしまう側面があります。だからといって組織的対応をしない方が良いという話にはなりません。虐待対応は子どもの命がかかっている場合があり、児相として社会的な責任を行政機関として負うことを考えると、組織的対応をおろそかにすることはできません。
ただ、児相にとって、これから先の長い期間のことを考えると、人材育成のことも考えざるを得ないと思います。現在、児相で働いている人達が管理職になると、マニュアルだけでは対応しきれないような場合でも部下である職員に指示やアドバイスをしていく必要があります。これがより有効にできるようになるためには、マニュアルだけでは対応しきれないような場合についての経験があった方が、目の前の家族の実態に合わせた指示やアドバイスをすることできる可能性が高くなります。
家族の実態に合わせた支援を考えるためには、(背景となる考え方は色々あってよいと思いますが)自分で仮説を立て、実際に行い、その結果どうだったかという経験の積み重ねがある程度ないと、家族に応じて柔軟な支援を組み立てていくことは難しいのではないでしょうか?しかも、虐待対応は児相だけで支援をするのではなく、関係機関と共に支援を組み立てていくので、家族への支援だけではなく関係機関との協働をどう進めていくのかという視点も必要であり、基本的な進め方であるマニュアルに照らし合わせながらも、現実的な家族支援を実践していくためには見立てを立てた上での実践経験が大切だと思われます。
「見立てる」ということの内容は、第7回の「福祉司と心理司のあいだ、その2」で書いたように、目の前の家族にどんなことが起っているのか?という仮説を考えることと同時に、パートナーである福祉司と心理司が共通の認識の上で支援を行っていく上で有効であると書きました。同じ児相内ではあるけれども、職種が異なるパートナーと同じ土台の上で協力していく積み重ねが、児相の外にある関係機関と協働する際にも、関係機関の役割や限界を理解していくことにつながると思います。また、実際に協働するのは、関係機関で働いている個人な訳ですから、機関のことだけでなく、協働する人がどんな人なのかも理解しながら支援を進めていく必要があり、支援の具体的内容と関係機関との関係を含めた支援方法を俯瞰するような視点を持つためには、マニュアルだけでなく見立てと実践を繰り返していくことが必要だと感じます。
では、実際にどんな事例の場合に見立てを立てるという作業をした方がよいのでしょうか?今の児相は、毎日のように新たな虐待事例の通告があることが当たり前になっていますから、原則的にはマニュアルによる組織的な虐待対応を行いながら、場合によって見立てを立てていくことがあるとよいと思います。
これから書くことは、私なりに考えた内容であり、私が所属していた児相で行われていたことではないことを改めて確認しておきます。
私なりに見立てを立てた方がよいと思われる事例は、基本的に児相の支援がある程度の期間継続することが前提です。
前述したように、今の児相は毎日のように新たな虐待の通告が色んな機関から入ってきます。しかし、通告された側の家族からすれば、児相という行政機関が自分の生活に関係してくるということは一大事であることが多い筈です。それも、虐待を疑われるという事態なのですから。おおごとであると感じることが一般的でしょう。
そのおおごとである、児相が関係するということが起っても、虐待行為が繰り返される場合、ネグレクトの状態や心理的虐待が継続している場合も見立てを立てた方がよいと思います。
また、身体的虐待で、けがやあざが危険な受傷箇所だったり、子どもの年齢が低い場合なども、繰り返されると子どもの命にかかわる可能性が高いため、虐待行為が繰り返されないように、早めに見立てを立てて支援することが大切だと思います。
さらに、虐待種別とは関係なく、(性虐待含む)一時保護が必要と判断された場合も見立てを立てた方がよいと思います。
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