#80 児相と発達障害を持つ保護者のあいだ

あいだシリーズ2

今回は、児相と発達障害を持つ(であろう)保護者とのあいだというテーマで書いてみたいと思います。

私が再任用で働いていた頃、子どもは既に施設に入所していて保護者(母親でしたが)との面接を行っていたことがあります。面接の場は、母と私の二人ではなく、私とは別に以前からの担当者がいて私の役割は、施設に分離している子どもとの交流についてや今後の進め方について以前からの担当者と一緒に考えていくという役割でした。

子どもは2人いて同じ施設に入所していたのですが、月に1回程度、面会交流をしていました。ただ、面会交流時、母は2人のうち1人の相手をしていると、もう1人の子へのかかわりがおろそかになるような印象がありました。別にどちらかの子どもだけを可愛がっているということではなく、それぞれの子どもを可愛く思っていたと思うのですが、1人の相手を始めると、もう1人のことは置き去りになってしまうのです。そういうこともあって、親子3人で遊ぶような場面を設定しようとしたのですが、その提案に対して母親は、遊ぶことはできないと拒否感を示すのです。どうも、マルチタスク(同時に複数のことに取り組むこと)が苦手なようでした。在宅の頃、母には写真を撮る趣味があって、母親がイメージしている場面に子ども達に衣装を着せて登場させるのですが、子ども達が嫌がっていても無理強いしていたり、子ども達が思い通りに動かないと怒鳴ったりしていたようで、そのことが子ども達を施設に入所させる原因にもなっていました。

一方で、母は父とは離婚していたのですが、父から訴えられていた(具体的に何を訴えられていたのか、よく分かりませんでしたが)こともあり、精神的に参っているようで、精神科にかかっていて服薬もしていたようです。

子ども達との交流場面や父とのやりとり(父とのやり取りについては、母からの話でしたので、当事者の一方だけの話でいたが)を聞いていて、どうも、母は視覚優位の人で、マルチタスクが苦手で、相手の気持ちを想像するのが難しい傾向を持っているのかなと感じていました。

母には知的な課題はないと思われ、私たちとの言語的なやり取りも十分できる方でした。過去に就職もしたことがあるようで自分の得意分野であれば、ある程度のことはできていたようです。

さて、面接も回数を重ねてくると、これまで話してきたような母の特徴は分かってきましたが、母は、被害的に物事を受け止める傾向があり、これも自分が見ている世界や理解の仕方が周りからは否定されやすいと感じていたようです。だからこそ被害的な受け止め方が多いのですが、一方で、どうもこのままではいけないとも感じていたようで、何とか子どもとのかかわりについて学ぼうという気持ちもあったようです。ただ、児相が望むような2人の子どもとの交流については、自分には無理だと感じていたようで、「もう、私は(児相には)来ない!」と感情的になったこともありました。

主治医から、発達障害について診断があったのかどうかは分かりませんが、母は自分には理解できないことがありそうだということは了解していたようです。それで、「子ども達へのかかわり方について教えて欲しいと言われたこともありました。その時、私が答えたのは、「発達に偏りのあるお子さんについての教育方法は、随分本も出たりしているし、実践もされていると思う。また、発達に偏りのある大人との(大人同士の)付き合い方みたいなことについて、話題になるようになってきているが、発達に偏りがある人たちの子育ての方法については、まだ社会的にも研究されていないのが現実」というようなことを伝えた記憶があります。

知的には課題がないけれども、偏りがある人たちは、社会に受け入れられようとはしている(法律上も差別してはいけないということにはなっているけれど)、その人たちの子育てについては、まだまだ研究されているとはいいがたい状況だと思います。

世にいう「ペアレントトレーニング」は、大人側の子育て方法に焦点をあてるものではありますが、その対象は、どちらかといえば、子どもに課題がある親子であり、親に課題がある場合にどうするか?という視点までには追い付いていないような気がします。

少し極端に言うと、毎日のように変化する子どもという存在に対して、柔軟な対応を求められる子育てという作業が、発達に偏りがある人達にとっては、本当に苦手というか苦痛というか、だから、子どもを自分の側に合わせようとするやり方しかできなくて、子どもを尊重することができないという事態に陥りやすいのだと思います。これは、ある意味、仕方ないというか、本人のせいではありません。でも、子どもを尊重することができなければ、現状では虐待行為に限りなく近くなってしまいます。

この母の「子どもたちへのかかわり方について教えて欲しい」というのは、悲痛な叫びだったような気がしています。その期待に私は応えることができませんでした。 発達に偏りがあっても、知的に課題がないと社会に適応している人もいるし、周囲からは理解されにくい(「ちょっと変わった人」くらいの捉え方になってしまう)存在です。こういう人たちは、小さい頃から失敗経験をたくさんしている場合が多く、自己肯定感の低い人が多いです。こういう人たちの「子育て」という作業を手助けする具体的な方法が、早く開発されることを期待しています。

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