#47 教えることは教わること

日常のエピソード

 私が初めて児童相談所で心理の仕事についた翌年、新たに配属された年下職員の教育係をいいつかりました。私も児相2年目、その職員も初めての児相でした。それから次の異動児相で男性職員、その次の異動児相で女性職員の教育係をやりました。今で言うと「メンター」という役割に近いですかね。そういう立場になると教える職員からの質問に対して、なんと自分は知らないことが多いのだろうと感じていたように記憶しています。

その後、部下を持つような立場になってからも、部下からの質問にすぐには答えられないこともたくさんあったと記憶しています。

質問に答えられない場合は、他の人に聞いたり自分で調べたりして一応の回答を用意する必要がありました。

こうした経験は、自分では気にしないようなところに疑問を持つこともあるのだという関心の幅を広げたり、知識を増やすことにつながったと思いますし、教える相手に、どんな風に伝えると分かりやすくなるかといったことにも意識がいくようになり、自分の成長につながっていったと思います。

教える立場に立ったことがある人には思い当たることがあるかと思いますが、単に知識を伝える場合は、知っていることや調べたことをそのまま伝えればよい訳ですが、知識だけではない場合(例えば、〇〇なケースで△△な場合はどうしたらよいかというような質問)、単に自分の経験を伝えるだけでは、相手が納得するような答え方になっていないと感じることも多くあったような気がします。

相手が、「ああそうか」という風に納得して貰うためには、その人がどうしてその疑問を持ったのかとか、その人が理解していく特徴に合わせた(例えば、視覚刺激に強い人には、視覚的な比喩を用いた方が理解しやすいですしょうし、論理的な考え方をする人には、筋道立てて説明した方がよいでしょう)方法を取った方が納得してくれる可能性が高くなると思います。

ただ、その人の特徴に合わせるためには、その人とのコミュニケーションが大切にで、普段からだったり、質問されたことをきっかけとしてその人とのコミュニケーションを深めることで特徴をつかむ必要があります。

こうした職員とのコミュニケーションは、特に意識しなくても行っていますが、「教育係」や「メンター」といった役割を与えられることで、意識的に行うことができやすくなると思います。  いずれにしても、人に何かを教える役割を持つことは、教えることは大切なことですが、それ以上に教える側が教わることも多いと感じます。

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