これまでも折に触れて書いてきましたが、最近と言っても、もうここ10年位でしょうか、夜寝るのが早くなったので、夜のドラマを見ることがなくなりました。
もっぱら、NHKの朝の連続ドラマを見ているのですが、NHKもBSと総合テレビで見ると、過去の再放送と現在の朝ドラと3本を見ることになっています。
内容的にいつの時代かとかテーマによっても変わってくるのですが、戦前(第2次世界大戦)から戦中、戦後を描くような内容だと、どうしても軍国主義的な社会の雰囲気とか戦争はあまり関係なくても「個人」よりも「家」を大切にする文化を背景にした考え方を持つ登場人物も出てくることが多くなります。
おおむね、主人公となる人は、こうした軍国主義的あるいは「家」を大切にする文化というような古い価値観とは別の価値観を大切にしようとして、これまでの古い価値感にぶつかっていくという構図になることが多いです。そして、主人公が古い価値観にぶつかっていく時には、誰かが味方になってくれることも多いです。
こうした古い価値観は、おおむね社会の(それまでの)常識として描かれることが多く、主人公たちは、新たな価値観を求めて可能性に挑戦していくことになっていきます。
私には古い価値観が一概に悪いと思えない部分もあります。ここで言う古い価値観は、その時代の常識的な考え方なので安定しており、常識に従うという意味では、自分の将来に対して不安はあるものの見通しが持てるという点で新しい価値観を求めていくことと比較すると不安は少なくて済む可能性が高くなります。
新しい価値観を求めていくことになると、果たして社会が受け入れてくれるのかどうか、自分の将来はどうなっていくのかなど、見通しが立ちにくくなっていきます。
一般に社会的な価値観は、通信手段が限られていた時には、社会全体(これは、通信手段が限られて他の社会と隔絶された地域社会だったり、ラジオやテレビの進化と共に日本全体ということもあります)としての常識が成り立っていたと思いますが、スマホを代表として、ここまで通信手段が発達してくると、社会全体というよりは、より個別的で多様な価値観があるということが当たり前になってきていると思います。
ところが、この個別的で多様な価値観を大切にするということは、すぐ近くにいる人との価値感の共有も難しくなってくるという現象も同時に引き起こしていると思います。その結果、近くにいる人とのつながりが感じにくく、つながりそのものが、ネットなどの通信の世界でしか感じにくくなっているような気もします。 この現象は、自分が社会の中で何者になっていくかというアイデンティティの課題とつながっているような気がします。近くに実物のモデルがおらず通信の中でのモデルで自分が何者になっていこうとするのか、生まれた時からスマホがある時代の子ども達は、新たな文化(価値感)の中でアイデンティティを確立していく必要があり、どんな時代になっていくのか怖いようなわくわくするような気分になりました。
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