#71 ネガティブケイパビリティ

日常のエピソード

前々回話題にしたドラマ「明日は、もっといい日になる」についてネットを見ていたら、「ネガティブケイパビリティ」という言葉に出会いました。初めて聞く言葉だったので早速ネットで意味を調べてみると、少し長いですが、以下のような説明がありました。

「ネガティブケイパビリティとは、不確実性、疑念、未知の事態に直面した際に、すぐに結論を出したり、理由を求めたりせず、曖昧な状態を許容し、耐え抜く能力のことです。この概念は19世紀の詩人ジョン・キーツによって提唱され、現代では変化の激しい「VUCA時代」に必要な力として、医療、心理学、ビジネスなどの様々な分野で注目されています。(VUCA時代とは、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性の英語の頭文字を取った造語)」とありました。

この説明を読んだ時、ああ、ある程度の経験を積んだ後で、行き詰まりを感じるケースに出会った時に自分に言い聞かせていたことだなあと感じました。若い頃は、目の前のケースに対して「どうすればいい?」と自問自答し、何とかならないかと焦って、自分には力がないと感じたものでした。しかし、ある程度経験を積んでくると、その時には、どうにもならないケースというのはあり、これはある程度時間が経過しないと変化を起こすのは難しいから、今は関係が途切れないような努力をしようとか、可能ならしばらく相談継続はやめて、また、新たな課題を感じた時に相談を再開した方がいいとかというような、ちょっとタイム!みたいに考えることもできるようになっていきました。もちろん、自分を甘やかすということではなく、ケースを見立てた上での話ですが…

しかし、若い頃は、ちょっとタイム!ということが怖いというか、何かしなければいけないんじゃないかと感じ、自分にちょっとタイム!を許せないような気持ちになっていたような気がします。それは、自分に対する周囲の評価を気にしたり、自己卑下だったり、色々な感情が起こっていたことが一因のような気がしますが、いつ頃からでしょうか、どうにもならないものはどうにもならないんだと、自分に言い聞かせるようになっていったような気がします。おそらく、それでいいんだと周囲からも認めて貰えたんだろうと思います。あるいは、周囲に待つだけの余裕があったとも言えるかも知れません。 おそらく、ネガティブケイパビリティが育つためには、職員に裁量を与えることが必要で、自分で考え判断し、その結果を評価するというプロセスが必要であると思います。マニュアルだけでは足りない部分をどのように補うのか、そして、マニュアルだけに頼るのではなく、職員個人が、あるいは上司が自分で判断し、待った方が良いところでは待つという決断を、職員個人や上司ができるようになることが大切だろうなあと感じました。

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