#77 小さな達成感をさがすこと

日常のエピソード

児童相談所での仕事では、思い返すと達成感を感じることはとても少なかったと思います。いわゆる相談ニーズがあって、それが改善してケース終了!となるようなことは、本当に稀なことだったような気がします。それでも児相の仕事を辞めなかったのは、途中から小さな達成感を探すようになったからのような気がします。

例えば、虐待で養護施設に入所して、そこでいわゆる問題行動を起こし就職のために一時保護され、最初の就職先はうまくいかず、でもその後の就職先で資格を取ったと就職先から連絡があったとか、知的障害児施設入所中の子どもが、進学に際して誰にお世話になったか?という施設職員からの質問に、私の名前を言っていたと聞いたこととか、虐待で一時保護されEMDRが効いたと感じられたこととか(それでも、結局は養護施設に入所して自立しましたが)というような、ケースの、ほんの一部で変化というか、自分がかかわったことが無駄ではなかったと「小さな達成感」として感じてきたような気がします。

これらの例は、自分のことを少しは褒めてもよいかなと感じた出来事です。こうした出来事でさえ、そう多いものではなく、起こった出来事を自分がどう捉えるか、ケース全体が改善した訳ではないと感じて、褒められるようなことではないと捉えるか、それとも、色んな動きの中で自分が子どもにとって少しは役に立てたかなと捉えるかによって見え方が変わってくるように思います。

私は現役時代、ごくたまに児相職員や他の機関の方にお話をするようなこともありましたが、職員のメンタルヘルスを話す時には、小さな達成感を自分で探し、自分にご褒美をあげることを忘れないようにと話していたと思います。

話は変わりますが、今、現役を退いて好きな家事は食器洗いです。これは、洗った食器が目に見えて減っていくので達成感を得やすいからだなと思います。掃除や洗濯も、部屋が少しきれいになったなとか、洗濯する衣服がなくなったと感じはしますが、掃除は床に掃除機をかける位しかしませんし、洗濯については、衣服の汚れ落ちにはあまり変化が感じられないというような、目に見えての変化が少ないので、達成感を得にくいのだろうと思います。

身体を動かすことについては、1日1万歩、歩くことを目標にしています。健康上は、1万歩は必要なくて8千歩で十分との統計的なデータは知っていますが、それは平均データで、自分にとって必要な歩数というのは、やはり1万というきりの良い数字を目標とすることが気持ちのハリにもつながっているような気がします。 こうして、ブログに自分なりの表現をしていたり、YouTubeで児相職員に対して発信しているのも、(反応してくれる人数は本当に少ないけれども)「小さな達成感」を感じたくて続けているような気がします。

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