先日、ある飲み会で20才台(だと思うのですが30才台かも知れません)の女性(Aさんとします)と話す機会がありました。
Aさんは福祉的な仕事をされている方で、Aさんが支援されている対象の方(Bさんとします)のことで悩んでいました。私は話を聴いていて、時々、Aさんが感じているであろうことを言葉にして返していたのですが、しばらくすると、Aさんが涙ぐんでいるのです。アルコールが入っていたので、なおさらだとは思うのですが、おそらく、私が返していた言葉をきっかけとして、AさんはBさんとのやりとりを思い出し、自分が感じていた感情を想起させられて、つい涙ぐむということにつながったのかなあと私は感じていました。
Aさんとは、以前も話したことがあり、疲れ知らずで、仕事のことが気になって、休日も仕事のことが頭から離れないというようなことを話していました。どちらかと言うと、支援対象にのめり込む方で、それが当たり前と感じている節がありました。
Aさんの成育歴は知りませんが、苦労して今の仕事に就いたような話をしていました。
私は、Aさんが涙ぐんだことは、Bさんとのやりとりがきっかけにはなっているけれども、(まったくの推測ですが)成育歴上にも関係しているのだろうなあとも感じていました。
「涙ぐむ」という身体の反応が、どうして起こっているのか?この時は、Aさんに「どうして泣いているの?話せる範囲で話して欲しい」というような声掛けはしませんでしたが、(おそらく)Bさんとのやりとりを理由にしたでしょうが、なぜBさんとのやりとりで涙ぐむことになるのかは言葉にはならなかったのではないかと思います。
自分の身体が反応していることを言葉にするためには練習というか意識することが必要だと思います。身体は、頭で理解(言葉による理解)するよりずっと早く反応します。私には、学生時代から数年間お付き合いしていた女性がいましたが、その女性と別れた時、別れた駅のホームで慟哭するように泣いた記憶があります。直前までそんな風になるとは思ってもいませんでしたので、自分で驚きました。「ああ、(自分は)悲しんでいるんだなあ」と身体の反応から理解したような気がします。私の例は、理由が明確ですが、それでも頭よりは身体の方がずっと早く反応したんだなあと思います。
対人援助の仕事では、自分が何を感じているのかを理解しておくことは大切です。一般的には「自己覚知」と言いますが、この「自己覚知」がある程度できないと、知らないうちにストレスをためてしまうことになりかねません。しかも、疲れていることを感じないようにしてしまうのも自分自身なので、自分が感じていることを言葉にすることは大切だよなあ、と感じたAさんとのやりとりでした。

コメント