#100 子どもを見立てること2

心理シリーズ
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先月動画を再開して1回目は「子どもを見立てること1」というテーマで話しました。今回はその続きです。

前回話していたと思いますが、今回話すのは、研修用のために作成した架空の事例ですので、そのつもりでお聞きください。

さて、前回の内容を簡単におさらいしたいと思います。私は子どもを理解するためには2つの軸が大切ではないかと考えていました。1つは成育歴のような時間軸に沿った子どもの変化で子どもを発達的に理解しようとする軸です。もう1つが、ある時期における子どもと周りの人との関係を理解しようとする軸で、これを関係的な軸と言っていました。この2つの軸をベースとして、子どもを立体的に理解しようとすることが大切ではないかと私は考えていました。  

今、映っているのが、2つの軸を実習生に理解して貰うために作成した資料です。見れば分かりますが「ケースの見方(さわり)資料」と書かれています。これは2つの事例(A男とB男)で、児相に相談に来たのはいずれも小学5年生の時点で、相談時には登校渋りと家で時々暴れるということに困っているということで、保護者から聞き取った内容を整理したものです。内容は、5つの時期のA男とB男の様子が記載されています。記載内容は、保護者からの聞き取りなので、保護者が記憶している内容になっています。

この5つの時期というのが、「時間軸」ですが、私が言う「関係的な軸」ということは、この資料だけでは理解しにくいと思います。この資料から説明すると、例えば、A男の3才児健診の内容は「言葉の遅れを指摘され心理面接を行ったが数回で終了」となっています。A男の保護者は3才児健診で言葉の遅れを指摘され、心理面接を勧められ、それを受け入れたからこそ心理面接が実現したことになります。ということは、既に保護者はA男の言葉に関して心配しており、だからこそ保健師からの心理面接の勧めを受け入れた可能性が高いと言えるでしょう。ただ、心理面接には行ったけれど、数回で終了したということは、A男の言葉に関することは、心理からするとそれほど高いものではなかったと言えるでしょう。なぜなら、もし言葉に関する心配がもっと高ければ、心理としては、例えば療育的なグループや場合によっては言語聴覚士のかかわりなどを紹介する可能性が高いからです。

というように、保護者の記憶から、その時期の子どもの状態と、周囲の人達や子どもがどのように動いたかを推測でき、そのことが私が言う「関係的な軸」の理解につながっていくと思うのです。同じように3才児健診のB男でいうと、「おとなしい面はあったが、健診でひっかかるようなことはなかった」とあります。このうち「おとなしい面はあったが」というのは、保護者がB男に感じていた側面であり、「健診でひっかかるようなことはなかった」ということは、その時点ではB男に発達的な課題はなかったと推測されるし、保護者としては特別な動きをすることはなかったことを表しています。

この資料で示したかったのは、同じ登校渋りと家で暴れるという相談内容でも、子どもによってある時期に示す言動には違いがあり、その言動によって周囲の人の対応も異なってくるということです。「子どもを見立てる」ということは、子ども自身の特徴を理解することが大切なことは言うまでもありませんが、子どもの特徴によって周囲がどんなふうに動き、そのことによって子どもはどんな経験をしてきて、今は周囲の人たちとどんな関係にあるのかを理解することが大切であると私は考えています。そうでないと、周囲の人(ここには児相のパートナー職員を含みます)に対して、子どもの特徴は説明できても、今後、どんなかかわりが大切かを検討していくことにつながりにくいとも思っています。

今回示した資料には、保護者と子どもの関係性については触れていません。もしかしたら、A男は小さい頃から心配な言動を繰り返していたために、A男の保護者は、A男に対して拒否的な感情を持っているかも知れません。子どもに対して拒否的な感情を持った保護者に子どもの特徴だけを伝えても、より拒否的な感情が高まる結果になってしまうかも知れません。

そんなことが想定される保護者に対しては、保護者の子どもに対する拒否的感情をどうしたら緩められるかを最初に検討する必要があるかも知れません。というように、単に子どもの状態だけを見立てれば良いということではなく、周囲との関係も見立てることが、「子どもを見立てる」ということに含まれており、少なくとも、これまで説明してきた2つの軸で子どもを見立てていくことが、子どもの将来につながっていくと私は考えています。

少し経験のある心理の方なら理解できるかと思いますが、A男は典型的ではないけれども軽い発達障害(ADHDなど)をイメージし、B男も典型例ではないけれども、感受性が高く過剰適応(周囲に合わせようと自分を殺し、無理をしてしまいがちな傾向)的な子どもをイメージしています。 もちろん、発達障害があるからとか感受性が高く過剰適応傾向があるから、必ず登校渋りになったり家で暴力的になる訳ではありません。でも、登校渋りという主訴で児相に相談に来所してきても、本当にケースは千差万別であり、1つとして同じケースはありません。つい、同じ主訴なら同じようケースだと考えてしまうことだけは慎みたいものだと思っています。

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