前回は「非行児の初回面接」ということで書きましたが、今回は児童養護施設に入所している児童の自立支援について書きたいと思います。今回は、施設からの依頼を受けて一時保護した事例について、一時保護中に行った支援について書きたいと思います。次回は、施設に戻ってからの支援について書きます。
今回書くのは、私が担当した児童養護施設に入所していた児童の自立支援についてです。とはいえ、こんな風にブログで書くことになるとは全く思っていなかったので、内容はかなり変更してあることをご承知おき下さい。
それでは、まず事例の紹介です。私が本人(今後A子とします)に初めて会ったのは、一時保護されてからでした。この一時保護開始には、施設長から文書で児相長にも依頼があったそうです。この施設長は、たまたまその年度から新たに施設長になった人で、施設運営に意気込みがあったようでした。
では、資料1をもとに概要を説明します。当時A子は高校3年生。経過にも書いてある通り、中学2年の頃に家出があり、見つかって一時保護になったのですが、家に帰りたくないとの本人の希望もあって、児童養護施設に入所したようです。A子に知的な意味での課題はありませんでした。当時の一時保護所での評価は、甘えが素直に表現できず、自分に自信がない。困難なことに直面すると投げやりな態度になることがあるけれども、職員との1対1での場面では、とても素直である、という評価を受けていたようです。
中学2年で施設に入所した後、高校2年までは特に大きな課題はなかったようです。高校2年になってから遅刻や欠席が目立つようになりましたが、何とか3年生には進級できました。でも3年生になっても態度に変化がなく、職員に対して反抗的な態度も多くなったことで一時保護の依頼がありました。ただ、A子は高校に入ってから(始めた時期は明確ではないのですが)コンビニでのアルバイトは継続していたようです。先ほど書いたように、この一時保護依頼は施設長から文書によって児相に届くような状態でした。
私が初めてA子と初めて会った時の印象は、背は高くて細身。髪の毛は茶髪でしたが、前髪を前にたらし、視線を隠しているのかなという印象を受けました。
A子は施設から登校刺激や生活態度に対する注意を受けていたことは分かっていたので、A子の話を聞くという態度を守っていると、同じ部屋の他の子どもへの不満に始まり、「その年の初めに実母(実母とは実父に内緒で接触があったようで頻度は多くないが、定期的に連絡は取っていた)と喧嘩した。実母は離婚したことを実父のせいにするが、本当は、実母の方が先に浮気したことを知っている。今更、母親面して欲しくない。実父については、施設の近くまで来ている筈なのに、連絡もないし保険証も持ってきてくれない。」と感情をこめて怒りの表現をしました。ただ、最後には必ず「でも、どうでもいいんだけどね」と付け加えていました。さらに「高3になって将来のことやバイトのことを考えて眠れない状態が続いた。」とも話していました。面接終了時にA子は小さな声で「違ってた」とつぶやく様子が見て取れました。私は心の中でガッツポーズをしたことを覚えています。なぜなら、前回話した非行児の初回面接と同じように、本人が怒られるであろうと「構え」ていたことを外すことができたことを確認できたからです。
A子には一時保護中の面接で、「今、不安なこと」を書いてくるよう宿題を出し、それに対して「①どんなところに就職するのか②住むところについて③お金について」と書いてきたので、現実は分かっているんだなと思いましたが、将来に対する不安は、すぐには解決しないから、時間をかけて一緒に考えていくことを伝え、施設に戻っても面接を継続していくことにして、一時保護中は、A子と話せる関係作りを主な目的としました。
ただ、一時保護してもA子の態度に変化がないと感じた担当職員からの報告に施設長が別紙のような課題を行って欲しいとの依頼がありました。
では、別紙について説明します。
1:これまでの施設生活の振り返り
2:これからの1日の生活の流れ(タイムスケジュール)
3:就職についてどのように考えているか
の3点です。この3点について、A子が文字にすることで内省を促し、自らの目標を設定することで、今後の生活の指針にして欲しいとの意向でした。
この要求は、高校3年になって、自分の将来のことを考えもせず生活が乱れていると感じている施設にとっては、まあ、当たり前の要求でしょうか。
ただ、私は、最初に福祉司から話を聞いた時、A子としては自分が帰れる場所もなく、それでも施設から出なければいけない現実に直面したくない不安な状態にあるのだろうなと感じていて、その不安に付き合うしかないのかなと思っていました。
こうした、施設と児相との見解の違いは、よくあることではありますが、目の前に生活している子どもがいて、これから自分の将来を自分で切り開いていくしかない立場にいることを自覚して欲しいとの施設の気持ちはよく分かります。しかし、現実を前にどうすればいいんだと不安で立ち尽くしている子どもに「自分の立場を自覚しろ」と伝えても、そんなことは分かっていると反抗的な態度になる子どもの気持ちも理解できます。
A子に対する要求とは別に、施設から福祉司に対して、一時保護中にハローワークに行ってどんな仕事があるのか見てくることと実父母と面接することを求めてきました。特に実父母との面接については、A子の引き取りについても含まれているように感じ、A子を「施設から出そうとしている」というメッセージがA子に伝わる可能性があると感じたので、それは拒否しました。
ということもあり、1~3のことについては、A子には負担だとは思いましたが、「儀式」として児相長の前でメモのようなものを読み上げるということをしました。
この意図は、担当福祉司は、施設担当や主任だけでなく施設長からもプレッシャーを受けていて疲れていることがみてとれたので、それを少しでも和らげようとして考えたことでした。別紙にも書いてあるとおり、児相長の前で読み上げたということは、この内容については児相長が責任を持つことになるので、以後、これらの内容については、施設長は児相長に連絡してくることになるだろうと思ってのことです。また、施設に戻ってからは、児相心理も施設に行き、A子との面接を行い、施設担当や主任とも話をすることになるので、福祉司の負担軽減を狙ったものでした。
当時の福祉司は、新人ではありませんでしたが、施設からの強いプレッシャーに疲れた印象がありましたし、A子が施設に戻ってからも施設とのお付き合いは継続するので、福祉司の負担をなるべく軽減させたかったのです。
で、実際に施設長は児相長に連絡するようになりましたし、施設担当や主任と児相心理も話すことになったので、福祉司の負担は軽減されたものと思います。
さて、今日のお話はここまでです。一時保護中に私が何をしたかというと、A子との関係を作ることと、福祉司の負担を軽減させることでした。 次回は、一時保護を解除して施設に戻るところから話は始まります。

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