表題の言葉は、随分前に自分で考えたものです(と勝手に自分では思っています)。とはいえ、もしかしたら、どこかで聞きかじった言葉なのかも知れません。その点は、あまり自信がありません。いずれにせよ、昭和30~40年代に子どもだった自分たちは、高度経済成長に乗って、毎日の生活は豊かになっていったと思います。ただ、その時代は、世の中は変化することが前提で、「モーレツ社員」という言葉もあったように、常に自分は変化しなければいけないというようなプレッシャーもあったように思います。そうしたプレッシャーを直接感じていたのは私たちの親世代だとは思いますが、私たちは「自分」というものを押し殺して『会社や社会に貢献することがよいこと』といった価値観を感じていた世代なのではないかと思います。
30年ほど前だと思いますが、『アサーション』という言葉や考え方を研修で学んだ記憶があります。今、検索すると『アサーションとは、自分と相手を尊重しながら、自分の意見や気持ちを率直に、かつその場にふさわしい方法で伝えるコミュニケーションの考え方(自他尊重の自己表現)』といった解説が出てきます。自分が受けた研修の中で『自己主張は権利である』という解説があり、「自己主張って権利なんだ」とショックというか主張してもいいんだと感じた記憶があります。なぜ、ショックを受けるようなことになったのかと思い返すと、それまでは『自分を押し殺して会社や社会に貢献すること』が当たり前のように感じていたからだと思います。
自分の公務員人生を振り返ると、アサーションの研修を受けた頃は、ちょうど児相に異動してある程度年数が経ち、児相の中で自分は何をしようとしているのか考えていた頃と重なるような気がします。上司や先輩の言葉は聞きつつも、自分がやりたいことを実践し始めた頃と重なるような気もします。
表題の『自分の人生の主人公は自分』という言葉は、アサーションの研修を受けてから、結構時間が経ってから考えたような気がしますが、それは自分のためと言うよりは、自分を押し殺しているというか、周囲への配慮を優先しがちな後輩たちに対して話した言葉のような気がします。そうして伝えた言葉が、ある人にとっては、自分で自分を縛っていた価値観から解放(周囲を優先するのではなく、自分を大切にして良いのだという)することにつながったのだろうと思うこともあり、まあ、まんざら悪い言葉ではなかったかなあと自画自賛していたこともあるような気がします。 今の若い人たちは、表題の言葉を聞いてどのように感じるのでしょうか?少子化で、大切に育てられているので、主人公であるのは当たり前と感じるのでしょうか?それとも、大切にされるが故に、大人からの期待を裏切る訳にいかないと、結局、自分を押さえつけてしまう結果になるのでしょうか?いずれにしても、自分のことと相手のことを尊重しながらも、自分の主張をその場に応じて行おうとするアサーションの考え方は悪いことではないと思います。
コメント