#95 内なる偏見

日常のエピソード

今のNHKの朝ドラは「風、薫る」というタイトルで、見上愛さんと上坂樹里さんの二人がダブルヒロインで、明治時代の「トレインドナース(訓練を受けたナース)」になっていくドラマです。

表題の言葉は、セリフではないのですが、ヒロインの一人である見上愛さんが、ナースの学校に入学するかどうか悩んでいる時、働いていたお店のお客さんとの会話で、ヒロインの中にも偏見があるのではないかと指摘されました。(ドラマの時代では、病人の世話をするのは、知識もないままにお金欲しさに頼まれて世話をする人だったようで、蔑まれていたようです。)

この場面を見た時、私が思い出したのは、私が大学受験を考えていた頃、父親から(よく覚えていませんが、きっと相談したのでしょう)「アカの所には行くな」と言われたことでした。この時、私は「アカ」が何を意味しているのか理解できませんでした。結果として私は、父親が言う「アカ」と呼んでいた大学には行きませんでしたが、その後、「アカ」や「レッドパージ」ということを学習し、自分なりの評価をしています。

ここで言いたいのは、私にとって「アカ」という言葉は、言われた時、理解できなかったが故に、私の中でも疑問として残り、その後、学習するという結果になっているのですが、もし、言われた時に意味が理解でき、それは日常生活の中で起こっていることなので、「当たり前」のこととしてのちに学習することもなく、「当たり前」の価値観として、自分の中にあったかも知れないし、もしかしたら、別のことでも「当たり前」の感覚としての価値観を持っているかも知れず、それが偏見につながっているかも知れないということです。  

たとえば、私が成長していく地域と時代では、外国の方との接触ということは、ほとんどありませんでした。それでも高度経済成長の時代には、TVやCMには外国の方が登場する機会は増えていきましたが、日常生活の中では、全くと言っていいほど接触することはありませんでした。最近では、日常生活の中のあちこちで外国の方を見かける機会が増えましたが、それでも、話したりするよう機会がないこともあってか、電車などで近くに外国の方がいると、それだけでなぜか緊張してしまう自分がいます。別に過去に外国の方から何かされたとか言われたとかといったことがないのにもかかわらずです。このこと自体は、外国の方との接触機会がないためなのかも知れませんが、緊張するということは、何らかの偏見が自分の中にあるからかも知れません。などと、自分の内なる価値観を見直すことも必要だなあと感じた日でした。

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